クリーン野川作戦の誕生と変遷


誕生から、発展へ

小金井市役所職員組合が始めたクリーン野川作戦

1978₋1987年

クリーン野川作戦の始まりは、実は労働組合の春闘の一環でした。

小金井市役所で働く職員で構成する労働組合が労働条件の向上を目指す春闘に地域住民の理解を得るために始めた「クリーン作戦」という清掃活動でした。

第1回クリーン作戦は、1978年11月12日(日曜)に小金井地域全体、道路や公園などの清掃活動の中で行った活動がその発端です。当初、川の清掃活動は、中央線北側の仙川と交互に実施していましたが、7年後の1985年の第7回からは、春の時期に野川の清掃だけに絞られるようになりました。

その当時の野川は、下水道の整備がまだ不十分で住宅からの生活排水の流入で大変汚れていました。清掃区間は、前原小学校から二枚橋まででした。特にわかたけ保育園から上流部は、河川改修前の法面がコンクリート3面張りで、補強の横桁の下を腰をかがめなながら、ゴミを載せた特製の船を引っ張りながらの大変な清掃作業だったことが思いだされます。清掃参加者もこの頃は、組合員中心でほとんど市民参加はありませんでした。


環境意識の高まりから、野川の24時間連続水質測定を

1988₋2009年

市職員組合は、クリーン野川作戦10周年を機に、従来の清掃活動に加えて、’88年からは、東京農工大学小倉紀雄研究室の指導・協力を得て、年々汚れがひどくなってきている野川の24時間水質測定を実施するようにしました。

具体的には、春の野川清掃の前日の午前10時から清掃当日の午前10時までの24時間、二枚橋西武多摩川線陸橋上流部にテントを張り、小倉研究室の学生たちと2時間おきにパックテストという野外水質検査キットを使って、水質測定活動を行いました。

24時間連続で測定すると、野川は早朝が一番水質がきれいで、8時頃から汚れが増えることが分かりました。これは起床後の家庭排水の流入などが原因と考えられ、野川の水質も人間の生活サイクルの影響を受けて1日の中でも変化していることが分かりました。

その後、流域下水道の整備が進み水質も改善されましたが、一方で生活雑排水の流入がなくなり流域の農地の宅地化や道路の舗装化の進行などで湧水量が減り、流量の減少が顕著になっていました。そうしたことを背景に水質測定活動は第10回(97年4月23日(土))を最後に終了、’98年からのクリーン野川作戦は、水量の復活を課題として水質測定活動を湧水調査活動に切り替えました。その後は、クリーン野川作戦の当日に、清掃活動と並行して滄浪泉園と貫井神社の湧水量の定点観測を行うようになりました。

 


組合活動と連携し、春実施していただけでなく「秋の陣」も実施へ

ときは移り1990年8月に、主催団体の小金井市職員組合が分裂(全国で労働組合の全国中央組織の総評と同盟が解散して連合が誕生した時期)して、クリーン野川作戦の主催団体は新たに誕生した市役所職員労働組合(市職労)に移行しました。このとき、第14回のクリーン野川作戦からは、従来の春の実施に加えて、秋も行うことになったのです。秋の実施は’91年9月22日(日)が最初でした。

開始から約30年となる2007年には、クリーン野川作戦も当初の組合員中心の活動から市民400人から500人が参加する地域ぐるみの環境清掃活動にまで成長していました。反面、主催の市職労の組合員の高齢化による定年退職も増え、組織存立が難しくなってきていました。そのためクリーン野川作戦の継続を考えて2007年5月から共催団体に小金井市環境市民会議を迎えたのです。

 

従来の組合主導型の活動から地域の市民団体との協働活動に転換していくことになりました。その後は、小金井市の事業後援も取得したのです。

 


小金井市環境市民会議が主催する活動から、小金井市共催へ

2010-2011年

2010年5月30日の第46回からは環境市民会議が主催団体になり、クリーン野川作戦を引き継ぎました。さらに小金井市と野川を管理する東京都北多摩南部建設事務所の事業後援を取得することができました。

小金井市環境市民会議は小金井市環境基本条例(2003年3月25日制定)に団体としての位置付けられており(第27条)、市の環境基本計画を市民側で中心になって実施する団体(第2次環境基本計画81頁)でもあり、クリーン野川作戦は環境市民会議が主催する事業になったことから、市も共催団体となり、事業補助を受けるまでになりました。(2011年5月22日(日)の第47回クリーン野川作戦から)また、その後は、小金井市教育委員会の事業後援も取得し、市と市民による協働活動として、さらに発展を続けていきました。

 


小金井市環境市民会議が主催する活動としてさらなる拡大、定着へ

2012-2017年

2012年第48回からは、それまで収集したごみの処理については、従来は市の収集車で不燃ごみは市中間処理場、可燃ごみは二枚橋清掃工場に運んでいたのですが、二枚橋清掃工場の老朽化による閉鎖に伴い、第48回(2012年5月27日(日))からは民間の清掃処理業者に依頼することになり、収集ごみは民間の産業廃棄物処理場で処理することになりました。加えて、2013年第49回からは、地域住民や活動に参加する市民の要望を受け、従来の清掃区間のうち上流部を前原小から野川貫井大橋(新小金井街道架橋)まで延伸することにしました。さらに2014年5月25日(日)の第50回からは国分寺市境のくらおね橋まで延伸することに決定したのです。

このことで、かねてから懸案であった小金井市内の野川全区間(上流は国分寺市境のくらおね橋から下流は三鷹市境の野川公園桜橋)の清掃活動が実現することになったのです。

クリーン野川作戦は環境市民会議の主催事業として、第46回(2010年5月30日(日))から第53回(2017年5月28日(日))まで延べ8回にわたり、小金井市環境市民会議の主催事業として実施され、地域活動としても他にない規模の市民活動として定着してきたのです。

野川清掃後は豚汁サービスの昼食交流会や野川検定クイズ、会場周辺の植物を調べるネイチャーゲームや自然観察会などの行事を楽しみました。また、事業後援者の北多摩南部建設事務所や小金井市の環境部署などから環境啓発グッズなどを提供してもらい、クイズやゲームの参加者に配布しました。会場の武蔵野公園くじら山下原っぱは災害の広域避難場所であることから、市の防災担当部署の支援で防災非常食の炊き出しと試食も行いました。こうしてクリーン野川作戦は、清掃活動ばかりでなく流域周辺の環境保全と地域安全を考える家族ぐるみのイベントに広がっていきました。


主催活動として実施した当時の報告書コーナー(作成中)は、以下から、ご覧いただけます。

第46回から第53回までの報告書へ


小金井市が主催する事業として、業務委託される活動に

2018年以降

2018年第54回からは、小金井市の主催事業に移行することになりました。その理由は、小金井市環境市民会議の会員の高齢化と新規会員増がなく、また事務局の負担増などから組織的力量が低下してきたためでした。その当時、小金井市と共催していた環境啓発3事業(環境フォーラム、環境講座、環境施設見学)を小金井市と協議し、主催を取りやめることにしました。クリーン野川作戦は、この3事業のうちの環境フォーラムのひとつとして行ってきたものです。

環境市民会議は、市から市民に対する環境啓発事業実施のために補助金60万円/年を受けていたことから、当然、この補助金も市に返上することになりました。

結果、小金井市は、環境市民会議に代わってこの環境啓発3事業を単独主催することになりこの3事業の運営実施を、補助金財源を原資にして委託費で組み、以後民間事業者に業務委託することにしました。よってクリーン野川作戦の運営実施も、2017年度(2018年実施)から民間業者が委託業務として行うことになりました。

一方、環境市民会議は、主催を取りやめた後もクリーン野川作戦の実施へのボランティア協力を実施しており、現在も小金井市への事業協力の一環として、活動を継続しています。このコーナーづくりもそうした事業協力の一つとしての情報発信事業です。

 


協力実施した2018年度以降のクリーン野川作戦の報告は、上部のメニューからご覧いただけます。

活動の背景と資料


小金井市立図書館所蔵の他の文献資料から、その活動の背景を知る


<開始当時>

〇職員組合活動や市政と都市開発について知る

「小金井市史・通史編」(第四章:都市化に対応する社会を求めた小金井市民・第二節:革新市政の展開・第一項「市民参加の提唱」695P₋697P・第三項「財政悪化と都市再開発要求」704P-709P)

「小金井市職員組合40年史」

 

〇1970年代に小金井で展開された環境活動を知る

「小金井市史・通史」(第四章:都市化に対応する社会を求めた小金井市民・第二節第二項目「環境保護運動の展開」698P₋704P)

「都市に泉をー水辺環境の復活」(本谷勲編著)NHKブックス